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  川相いい仕事マガジン vol.105
   発 行:川相商事株式会社
   Kawai Syouji Group
   『働くよろこびを見つけるヒト』創造企業 http://www.e4510.jp/
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   川相マガジン   e4510情報 (いい仕事情報)
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「今年も昨年に比べて、製造業派遣や請負での人手不足が深刻になっています。

請負現場では、人材を確保し、育て、技術をどのように継承していくかが課題
ですが、現在、当社では、営業、育成、現場でのそれぞれの取り組みが、
繋がるシステムがあります。

今年も、全社員一丸となって、この厳しい状況を乗り越えていきます。」

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  「愛はあるが甘えのない人事が、ヒトと組織を育てる」
  労務管理事務所フォージョウハーフの日比野大輔がおくる
  社労士、日比野の現場紹介—☆★☆
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    100年企業の働き方改革
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いつもメルマガをご愛読いただき、
どうもありがとうございます。

労務管理事務所フォージョウハーフで
コンサルティングをしています日比野です。

日本の人口は、世界人口のたった2%にも足りません。
なのに100年を超える長寿企業の80%は日本企業だと言われます。

海外から見ると、この状況は本当に、不思議なことなのだそうです。

100年を続く企業というのが社会、顧客、
そして、社員から必要とされているのだからこそ、
存続しているのでしょう。

今、何かと話題の働き方改革、
そのヒントを100年企業が創業した江戸時代に探してみたいと思います。

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┃江戸時代の休日事業
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江戸時代、休日はたいてい3日くらいでした。
例えば5のつく日が休みだったそうです。
具体的には、5日、15日、25日が休みです。

この休みは、今の休日という概念ではなく、
何かの用事をするための日で、街の人でバラバラに取得しては都合が悪いので、
皆で一斉に休もうということで日にちが決まっていたようです。

そして、それ以外に祭日がありました。祭日とはお祭りの日、
またはお祭りの準備をする日が休みでした。

江戸時代には、休暇という概念はなく、
何かの用事をするために休むというのが常識だったようです。

これは主婦には休日がないのと同じような考え方かもしれません。

ちなみに当時は定年という考え方もなく、
年を重ねても出来る限り奉公するというのが美徳でした。

現代の働き方改革の大目的は少子化による労働力不足の解消であり、
労働力が必要なのは、高齢化社会を迎えて社会保障問題があります。

江戸時代は、定年という概念はなく、健康なうちは、
皆、働いたので、年金受給対象者も非常に少なかった。

政府が管掌する年金制度はもちろんありません。
しかし、住民の共同連帯による講・頼母子という自発的な社会保障制度は、
各地にありました。これは鎌倉時代あたりに起源があるそうです。

飢饉に苦しむ寒村を除き、
都市部では高齢者問題はあまり大きな問題ではなかったようです。

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┃江戸時代の賃金事情ー同一労働同一賃金をブレークスルーしていた?
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江戸時代、武士たちの報酬は年俸制で、年に2回から3回に分けて、
支給されました。(米で支給されました)

一方、商人たちや町人はどうであったか?
いわゆる日当で支払われました。毎日支払われるのではなく、
月に2、3回に分けて支払われることが多かったようです。

今で言うところの日給月給というものです。

商人、職人たちは、その技量が上がっていくと、
日当があがっていきました。

そして、たくさんの日にちを働く人の給与は高く、
お祭りやその他の用事で働く日数が少ない人の給与は低いというものでした。

技量の高さで日当の額が決まり、働く量で月給の額が決まっていました。

この方式だと、働く人のそれぞれの家庭の事情に応じて、
給与の総額が決まっていき、
多様な働き方を受容する賃金制度となっていたように思います。

そして、当時、江戸という町は顔の見える社会を目指していました。

住人同士が互いの家庭の事情を共有し、助け合いながら暮らしていましたから、
江戸っ子は多様な働き方を受容するマインドを備えていたとも言えそうです。

現代、働き方改革を必要とされる諸問題を江戸時代のご先祖様は、
ごく自然体でクリアしていたようにも思います。

当時、もちろん労働基準法などの労働関連法規はありません。

特筆すべきは、休日、定年、賃金制度ともに、これは政府主導ではなく、
民間が主体的になって作り上げていた制度でした。

さてさて、当時は出来ていたことは今も出来るはず、
今に足りないものは何でしょうか?

 

  労務管理事務所 フォージョウハーフ
  労務コンサルタント 日比野
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 「愛はあるが甘えのない人事が、ヒトと組織を育てる」
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